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高野山は弘仁七年(816)に弘法大師が修行時代に足を運ばれ行に励まれた紀伊の国伊都の郡(現 和歌山県伊都郡高野町)の標高850m程の東西に約5km南北に約2kmの深山幽谷の盆地に開かれた真言密教の根本道場です。
麓から登山道登り突如として眼前にそびえ建つ朱塗りの巨大な大門、山の中央に位置し、根本大塔、金堂、中門、東塔、西塔等からなる壮麗な大伽藍を配置したこの寺に「金剛峯楼閣一切 瑜伽瑜祇経」の心要を顕す寺という意味で「金剛峯寺」と号されました。

全ての衆生の救済を志し、穀味を断ち、水を断ち、塩も断ち、座禅入定され、ご自身が予告なさった通り承和2年(835年)旧3月21日寅の刻に永遠の定に入られ、御法体を奥の院の御廟にお移し申し上げ、爾来1200年弱の年月が経過しております。
弘法大師は奥の院にて生き続けて衆生救済の為祈り続けておられるという信仰の下に今でも365日24時間人影絶ゆることなく、多くの善男善女が参拝し続けております。

奥の院には、お大師様の徳を慕って、古来より多くの方々が近親縁者の墓碑を建立され、その数大小併せて20万基とも30万基とも言われる墓石群が展開されております。その2/3は他宗派の方のお墓であり、浄土宗の開祖法然上人のお墓や浄土真宗開祖親鸞上人といった他宗派の祖師様のお墓まで存在する、宗旨宗派の別を問わない総菩提所であることが高野山の特徴でもあります。