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当院について

京都醍醐寺 理性院第二世門跡 上野阿闍梨宝心僧都が保元三年(1158)高野山に御登山、建立され、850年の法灯を連綿と受け継ぐ別格本山 本王院第46世 康裕大僧正の筆頭弟子 裕範僧正が二十数年に及ぶ山籠修行の末、宝心僧都に縁の深き京より御本尊として総丈七尺五寸(約2m50cm)の不動明王を御遷座賜り、本王院が寺紋たる五七桐と大施主 須藤家が紋たる丸に横木瓜の両紋を以て寺紋として掲げ、一院を建立するを以て開基とする。
古来より名刹寺院数多く有りといえども焼失すること数多く、失われたる御尊像 御尊影、寺寶、星の数が如し、祭祀せらるる霊牌もまた焼失の難免れるを得ず、佛法は連綿と伝われども、尚、失われしもの再見すること無し、この故に当院開基の砌、伝統の寺院建築に憧憬の念を起こせども敢えて之を選ばず、 不燃の建材を用い、現代建築を以て建立せり。
本尊不動明王、縁日、毎月28日の護摩修行を始め 各種行事を行い宗旨宗派を問わず多くの善男善女に門戸を開く、姿新しき伝統寺院である。

御本尊不動明王御真言

のうまくさーまんだ ばーざらだんせんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

門前にお祀りされている地蔵尊は、苦抜きみのり地蔵と呼ばれ、一願専一に祈れば必ず願いを実らせると伝えられるお地蔵様です。
当院でも日々、地域の交通安全と地域の子供の健やかな生育を祈念いたしております。
御真言は おん かかか かび さんまえい そわか